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母が認知症とは思いたくない
膠着状態を打開したのは特殊詐欺だった
医者だって不健康なことはある なぜ、母はお金にこだわったのか 見えない介護 専門家に聞いてみた

膠着状態を打開したのは特殊詐欺だった

壁を乗り越え、病院に連れていく決意をした。「最近物忘れがひどいようだから病院に行こう」と何回も促すも、「年をとったんだから仕方ない」「私はぼけていない」と断固拒否だ。隣に住んでいた姑が認知症(当時はこの言葉はなかったが)になり「おうちが分からなくなったの」と家の前の道路でたたずんでいたことは覚えており、「私は家は分かるんだから」と言う。

膠着状態を打開したのが特殊詐欺だった。「電話がかかってきてクレジットカードの暗証番号を教えてしまったかもしれない。私の番号とあなたの番号は同じよね」と仕事中、携帯電話にかかってきた。カードは渡していないという。「念のためにカードは変えたほうがいい。明日私が全部やる。何もしなくて大丈夫だから」と電話を切った。

翌日、母と一緒に駅前の銀行支店に行き、カードの変更手続きをした。終わろうとするころ、銀行のロビーで来店者の案内などをしている女性がやってきた。
「お母さま、昨日来られました。手続きに必要なものを持っておられなくて帰られました」
そんな話、聞いてない。母に尋ねても覚えていない。

さらに女性は「お母さまは、交番に行くともおしゃっていました」とも言った。銀行から歩いて1分の交番に行ってみると、母は交番にも寄っていた。が、覚えてない。警察官が母をバカにしたような口の利き方をしたので、「そういうのは止めたほうがいいよ」と喧嘩して帰った。 

この一件で母はかなり気弱になった。乗じて攻め入ると、やっとメモリークリニックに行くことに同意した。令和の時代に入った春。幸いなことに、歩いて10分とかからないところにメモリークリニックがあった。地域包括支援センターや介護老人保健施設も隣にある。誰でも認知症になり得る時代、認知症とともに、人として暮らすこと、生きることを目指し開設したという。院長先生はマスコミにもよく出ている。