見えない介護
次は、市役所の介護認定係の人である。前回の教訓を生かし、カレンダーには書かず来宅1時間前に伝える奇襲をかけた。今度は、前回よりも詳細に聞き取りをしたうえ、動作確認も。2階の母の布団で寝起きをチェックして終わった。「市役所の人が来るとがんばってみせる。家族の話は聞いてくれなかった」と認知症の母を持つ友人が言っていた。
私の話も聞いてもらわないと、と構えていたところ、うちにきてくれた市役所の女性は、「では娘さんの話も」と声をかけてくれた。玄関の外で「家事は全部やっていますというのは違います」とか訴えた。
しばらくしたころ、母が出てきた。「私のいないところでこそこそ話をして気分が悪い」と猛烈に怒っている。「家に手すりがつけられるかどうか相談している。私も60歳なんだから」と説き伏せる。一旦は納得して家の中に戻るが、また出てきて怒る。
何回かそれを繰り返した後、母は市役所の人に「名刺を見せなさい」と求めた。市役所の人は首から下げたネームカードを示した。「私がきちんと確認したから」と収めた。市役所の人が帰った後も、母は「最近、この辺はどろぼうが多い。その下見かもしれない」と怒っていた。確かに、名刺は渡したほうがいいように思う。
2週間後、「要支援1」の通知が来た。ケアマネジャーさんから支援内容などの説明を受けた。保険を使って玄関に手すりをつけることになった。設置後、母は「玄関が立派にみえる」と何回もほめる。ケアマネジャーさんは月1回訪ねてくれる。
昨夏、地元の大学で介護を学ぶ女子大学生を“現場実習”で一緒に連れていっていいかと聞かれ、了承した。大学生はいくつかの質問の最後、「一番大切なものは何ですか」と尋ねた。母はしばし絶句し、「何かしらね~」で終わった。「子ども」は出てこなかった。
今年のハードルは、デイサービスに通ってもらうことだ。おそらく、施設の下見の段階から病院同様嫌がるだろう。連れて行く算段を考えると、うつうつとして手続きを進める気がおきない。料理、掃除、洗濯などではないが、生活に欠かせない細々とした家事を指す「見えない家事」という言葉がある。
介護保険が行き届かない「見えない介護」もたくさんあるのではないか。1999年介護保険法が成立する前、介護保険の取材をしていた時、「介護の社会化」という言葉を散々聞いた。どんなふうになっているか見極めたい。