東京都豊島区長の高野之夫(たかの・ゆきお)さんが2月9日、都内の自宅で亡くなりました。85歳でした。高野さんは豊島区議会議員や都議会議員を務めたあと、平成11年の区長選挙で初当選。現職の都内区長で最多となる6期目でしたが、4月の区長選には出馬しない意向を発表していました。今回、高野さんが区政とどのように向き合ってきたかを語った『中央公論 2021年6月号』のインタビュー記事を配信いたします。
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2014年、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(増田寛也座長)は「消滅可能性都市」を発表。出産年齢といわれる「若年女性(20〜39歳」の人口が2010年から2040年にかけて5割以下に減少する自治体を「消滅可能性」があるとしてリストアップしたところ、全国自治体の約半数となる896が該当する事態となった。このとき、東京23区で唯一「消滅可能性都市」となったのが豊島区だ。その豊島区が、それからどのように消滅危機からの「脱却」を図ったのか、高野之夫区長に訊いた。
「消滅可能性都市」と名指しされ
ーー2014年の記事で、豊島区を「消滅可能性都市」と名指ししたのは、ほかならぬこの『中央公論』でした。
テレビのニュースでその記事が取り上げられて、顔見知りの記者から広報課に連絡が来たんです。ちょうど私は会議中で、担当者が「豊島区が消滅可能性都市という話なんですが......」と言ってきた時は、その場にいた全員が「えっ?」と固まってしまいました。
ーー1日乗降客数が270万人(近年の概数)という巨大ターミナルの池袋を擁し、人口密度は日本一。立教、学習院をはじめとする教育機関も多く、若者が行きかう一方で、「おばあちゃんの原宿」巣鴨もある。なんで? となりますよね。
むしろ、当時は都下のニュータウンで、住人が一気に高齢化する問題がニュースになっていた時期で、まさか豊島区がそれら市部を抑えて名指しされたなんて信じられませんでした。「消滅」という言葉には、すごいインパクトがあります。末代までの汚名を着せられたと、その時はカッとなりましたね。
ーー区民の反応はどうでしたか。
当然、大ショックですよね。区役所には、「本当に豊島区は消えてしまうのか」という問い合わせの電話が殺到しました。対応する職員も、状況がよく分からなくて疲弊しました。
実は、座長の増田さんも、わざわざ私の元に説明に来てくださったのです。当時の調査では、東京都の「若年女性人口減少率」のトップは、奥多摩町のマイナス78・1%。豊島区はマイナス50・8%。
5割をわずかに超えたことで、消滅可能性都市に認定されてしまったのですが、増田さんからは「挽回の目はあります」と励ましをいただきました。私自身は、このまま烙印を押されっぱなしでいくものか、どう逆転していこうかと、逆に闘志を奮い立たせていました。