(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の新連載「猫婆(ねこばばあ)犬婆(いぬばばあ)」。ショローをすぎた伊藤さんが、猫や犬に囲まれてゆったりと生きる「今」を綴ります。今回は「救荒食または紅玉のキャラメル煮」。料理が面倒臭くなったとき、伊藤さんは救荒食に頼るとのことですが―― (画=一ノ関圭)

この頃心に余裕がなくて、一日何も料理をしないで生きていることがある。

作れないわけじゃないのですよ。かなりな手練れだったのですよ、昔は。

外でひとりで食べ物屋に入るのがきらいだから家で作るしかないのだが、基本は雑穀入り玄米やライ麦パン。肉や野菜を煮たもの、ゆでたもの、ローストしたもの。犬のために塩とタマネギは極力使わない。

同じ素材の、同じ味のものをずっと作り続けている。日本に帰ってきてから、いやほんと言うと夫が死んでから、ずっと同じ。

今は、同じものを作るのも面倒臭くなって、でもお腹は減るから、トースト焼いて牛乳を飲んだり、ご飯をチンして卵かけご飯をかっこんだりしているが、それも面倒臭くなると、救荒食に頼る。

はい、ここから先は何も言わずに聞いてください。こんなことをTwitterでつぶやこうものなら、すぐに、栄養のバランスが悪いとか健康に気をつけてとかコメントが来る。うんざりする。ほっとけと思う。

救荒食とは、飢饉のような、普通の食べ物がなくなったときに食べるもの。ヒガンバナの根やトチの実なんかが有名ですけど、あたしにとっての救荒食はカップ焼きそばだ。

昔からたまに食べていた袋麺のインスタント焼きそば。野菜や肉を足して、複雑に、料理のようなことをしながら作っていた。『閉経記』に、作り方をくわしく書いたような気がする。まだ家族がいたのである。