数か月前。ドイツ行きの直前。その頃あたしは忙しくて、このように救荒食を食べ続けながら、毎日台所に立って、こちょこちょ何かやっていたんだった。

何かと言えば、ジャム作りである。

うちの庭に桑の木がある。十数年前にほんの出来心で庭に植えた西洋種で、マルベリーといったほうがいいかもしれない。初夏に日本の桑より大きくてふとった実をつける。ほぼ二週間、大量に熟すから、採らないわけにはいかない。毎日大皿にこんもり採れる。生食してもおいしくない。それで砂糖をまぶして手で揉む。ぬかみその要領で。手についた酵素が発酵を促す。数日経つと泡が出て、液が沁み出し、甘みが深まり、滋味が加わり、さらに揉んでやると、微発泡になり、美味なるものの頂点に達する。

昔の処女が米を口で噛んで吐き出して酒を作ったり、処女がぶどうの実を踏みつけてそれでワインを作ったりしたようなものだ。男をさんざん経験した、今はセックスレスの、このばばあの手の酵素で、桑の実を揉む。すてきな考えではないか。

発酵したのをワインに足して飲む。トーストに載せてすすり食う。食い切れないから煮てジャムにする。煮沸消毒したびんにつめる。ジャム製造業者のような手際のよさである。

桑だけじゃなく、いちごでも木いちごでもいちじくでも作る。秋になったら紅玉が出るから、キャラメル煮のびんを、キャラメル煮製造業者のようにせっせと作る。

日々の食べものは作らないが、こういうものは作る。楽しく作る。それなのに、日々の食べものは、食べずに済むようになったらいいなと真剣に考えるほど面倒臭い。


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米国人の夫の看取り、20余年住んだカリフォルニアから熊本に拠点を移したあたしの新たな生活が始まった。

週1回上京し大学で教える日々は多忙を極め、愛用するのはコンビニとサイゼリヤ。自宅には愛犬と植物の鉢植え多数。そこへ猫二匹までもが加わって……。襲い来るのは台風にコロナ。老いゆく体は悲鳴をあげる。一人の暮らしの自由と寂寥、60代もいよいよ半ばの体感を、小気味よく直截に書き記す、これぞ女たちのための〈言葉の道しるべ〉。