音楽を通して互いに心を開く時を過ごし
ピアノがある部屋に案内され、僕がお二人のために何曲か弾きました。もう十分かなと思って辞去しようとしたら、「いやいや、もう少し弾いてください」と。結局、3時間くらい弾いていたでしょうか。最後に「妹と連弾します」と申し上げたところ、天皇陛下が隣の部屋に行き、ピアノの椅子をもう1脚持ってきてくださって。連弾で弾いたのは、日本の童謡など、皆に親しみのある曲です。美智子さまは嬉しそうにハミングをなさっていました。
その後、声を発することができない美智子さまは紙に何かを書き、陛下がそれをお読みになりました。「私も弾きたいです。シベリウスの『樅の木』を弾きますので、何かアドバイスがあればお聞かせください」とのことでした。
美智子さまの演奏を聞き、正直、驚きました。素人の趣味の域ではありません。本当に音楽が好きで、音楽を大事に思い、ご自分で理解して深めていらっしゃることが伝わってくる演奏でした。意外だったのは、手がけっこう大きくていらっしゃること。そのしっかりとした手で、音を紡がれるのです。
「樅の木」についても、美智子さまは「私はこう思いますが……」と、ご自身の考えを紙に書かれました。私は、「一年を通して緑の葉をつけ、高くそびえる樅の木は、北欧では永遠の象徴のような存在です」とお話しし、ペダルの使い方を少々アドバイスさせていただきました。音楽を通してお互いに心を開くことができ、素敵な時間だったと思っております。
その日は思いがけず、夕食もご馳走になりました。僕は若い頃から演奏活動で世界中を回っていたので、珍しい経験も少々しています。その日お話ししたのは、ベトナムのハノイでの出来事。演奏をしていると何やら上のほうが異様な感じがするので、ひょいと見たら、なんとコウモリが飛んでいたのです。ハノイのコンサート会場はフランス植民地時代に建てられた立派なオペラハウスでしたが、戦争中使われていなかったので荒れており、コウモリのすみかになっていたのでしょう。
「ちょうどベートーヴェンの『テンペスト』の第3楽章を弾いていた時なんですよ」と申し上げたら、美智子さまは第3楽章のテーマをハミングされました。音楽に慰められ、音楽とともに生きていらっしゃる方なのだと改めて思いました。
それから2、3年後でしょうか。東京文化会館での演奏会に美智子さまがいらっしゃる機会があり、「やっと来ることができました」とのお言葉をいただきました。それからは毎年のように演奏会に来てくださって。また、皇居に伺う機会も何度かありました。
私が行くと必ず美智子さまも演奏なさいますし、音楽談議で時間があっという間にたってしまいます。侍従が時計を見ながら「もう、お時間です」と促すと、「あと15分」「もうちょっとだけ」と侍従にお願いするような、かわいらしい一面をお見かけすることもありました。