天皇陛下のご退位後、連弾できる日を楽しみに
その後も、いろいろな作曲家が曲を書いてくれて、今では左手のための曲が100曲くらいできました。ピアノコンチェルトも16曲あります。
左手のピアニストになってからも、美智子さまは毎年のように東京でのコンサートに来てくださいました。僕が80歳になった年の傘寿記念の演奏会には、陛下と一緒に来てくださって。その時、アンコールで「赤とんぼ」を弾きました。梶谷修という作曲家が、左手のためにすばらしい編曲をしてくれたのです。その日、妻は美智子さまのお隣に座っていたのですが、アンコールが始まると美智子さまは、「あれは赤とんぼね」と陛下に囁かれていたそうです。
右半身が不自由になったことや、左手のピアニストになったことに対して、美智子さまから何か言われたことはありません。ただ2013年に、僕の演奏会からの帰途のことを短歌に詠まれています。
左手なるピアノの音色耳朶にありて灯ともしそめし町を帰りぬ
音楽の余韻をとても大事にしていらっしゃるのだなと、心から嬉しく思いました。
音楽を仲立ちに美智子さまとのご縁が生まれ、すでに30年以上がたちました。美智子さまは常に人の立場を思い、人の心に寄り添い、人のために何かできないだろうかと考えていらっしゃる。本当におやさしいお気持ちをお持ちです。力まず、自然にご自身のなかから出てくるお気持ちを大事にし続けてこられていることを、とても尊敬しています。
今年、天皇陛下が退位なさる。これからは陛下も美智子さまも、ご自身の生活を楽しんでいただければと願っています。毎年、10月20日の美智子さまのお誕生日に声をかけていただくのですが、昨年、一昨年は演奏会と重なり、伺うことができませんでした。また美智子さまもとてもお忙しく、僕の演奏会と予定が合わなかった。そのことでお電話をいただいた際、「残念ながら伺えません。でもまた何か一緒に演奏しましょう」とおっしゃいました。
美智子さまは、口に出されたことは必ず実行なさいます。ですからその日のために、作曲家の吉松隆さんに3手のための新しい連弾曲を3曲、書いてもらいました。天皇陛下のご退位後、ご一緒に連弾できる日を楽しみにしています。