施設で会う母は「かわいいおばあちゃん」
穏やかな気持ちで母を見送れたのは、私が母の介護をしなかったことも大きいと思っています。許せない思いを抱きながら、介護を引き受けていたら……、と考えるだけでも倒れそう(笑)。母が施設で過ごせるだけの遺族年金を遺してくれた父に感謝しています。
施設で会う母を、時に「かわいいな」と思うこともありました。認知症の進んだ母は少女のように無邪気で、私の顔を見て「おねえちゃん、大好き!」と言ったり、「綺麗な手やなあ」と褒めてくれたり。機嫌がよいと、意味のわからない言葉で一生懸命話しかけてくることもありました。「かたーいてんぼのまるみにゅう」とか「かわいいもんもりさん」とか……。面白くて、忘れないようにいくつも書き留めたんですけど、そう言ってからニヤーッと昔と同じ顔で笑うんです。
でも、かわいいと思えるようになったのは、母が母じゃなくなっていたから。もう私が誰かもわからない、どっかのかわいいおばあちゃん。だから、私もやさしい気持ちで向き合えるようになった。
元気でいる頃に「大好き」と言ってくれる母だったら、どんなにか嬉しかったでしょうね。そんな母なら、私だってもっと自分の心に素直に生きることができたのに、という思いもあります。私は、感情の浮き沈みをあまり表に出さないのが習い性なのですが、それは「母と同じ血が流れている」という恐怖が常にあるからです。思えば母は反面教師としては一流でした。
もちろん、感謝していることもあるんですよ。ひとつは、本を好きにしてくれたこと。また、比喩の使い方でいかに文章が生き生きしてくるかを教えてくれたのも、母です。それが押しつけだったとしても、私が書くことで身を立てられたのは確かですから。