書くこと、話すことでデトックスする
もうひとつは、花の名前を教えてくれたこと。私は小さい頃から、身のまわりのだいたいの花を知っていました。物の名前を知ることは、それらをほかから区別する目を得て、世界に奥行きができるということ。そういう意味で、私の世界を広げてくれた人でもありました。
少なくともこの2点については、母の人間性とは無関係のところで心から感謝しています。
結果的に私は『放蕩記』を書くことでずいぶんと救われました。ことばにできない思いをあえてことばにすることは、過去に冷静に向き合うことでもありました。だから家族問題に限らず悩みのある人は、試しに文章にしてみてください。書いてどうなるわけじゃなし、と思うでしょうけど、騙されたと思って、ぜひ。『婦人公論』に手記を寄せるのも、いいんじゃないかしら。(笑)
人に話すこともデトックス法だと思います。ただ、家族に不満を持たずに過ごしてきた人には伝わりにくい。「親をそんなふうに言うもんじゃない」とか「家族だから、わかり合える」と言われれば二重に傷つけられるので、否定せずに聞いてくれる人をみつけることも大事だと思います。
私の聞き役は、4年ほど前から暮らしているパートナー。私たちは母方のいとこ同士で、彼の父親も母と同じ気質だったということもあり、苦しみを疑うことなくわかってくれました。血は争えないな、と苦笑したり、まったく大変な人だった、と語り合うことで小さな成仏を重ね、いまは少しずつ癒やされているのを感じます。
もちろん家族が愛に満ちていれば最高です。でも愛せなくても罪ではないし、愛されなくても罰ではないのだ、と考えられるようになっている今日この頃です。