「家族は仲がよいもの」という価値観に苦しめられ

母の認知症が確実なものとなったとき、私は「一人だけ勝手にリングを下りるなんて」と身もだえするほど悔しかった。あんなに私を苦しめ続けた母が、過去にしたことを、きれいさっぱり忘れてしまうのですから。

もちろん母がしっかりしたまま衰えたからといって、私が母とリングの上でやり合うなんてことはあり得なかったと思います。それでも、認知症という理不尽な形で、架空の機会さえ永遠に奪われるのはやりきれなかった。

やがて私は『ダブル・ファンタジー』で、自分の実体験や皮膚感覚のようなものを通じて性愛を描きます。これが、母が本を読めるうちは絶対にできなかったことだと気づいたとき、どれほど母の顔色を窺いながら生きてきたのかと、改めて愕然としました。

同時に、ずっと胸にしまってきた母との愛憎も、ようやく書けるのではないかと思いました。『放蕩記』は半自伝的小説で、母と娘の間に起きることのほとんどが実体験です。

あんなこともあった、こんなこともあったと記憶を辿る作業はキツかった。芋づる式にそのときのつらさや痛みを思い出しては「いま思えば母は異常だった」という憤りが沸々と湧いてくるのです。それでも、ただ感情に身を任せるのではなく、自分と切り離した一つの小説としてこれを書き上げようとしたのは意味のあることでした。

2011年に発表した当時は、「母がしんどい」とか「毒母」という意識があまり浸透していなかったこともあり、レビューは「自分と母の話を読んでいるようだった」と共感してくださる方と、「まるで理解できない」と嫌悪感を示す方とに大きく分かれました。「村山さんは子どもがいないから、お母さんの気持ちがわからないのだ」と言われることも多かった。

批判的な意見で目立つのは「育ててくれた親を、こんなにも悪く言える神経がわからない」といったもの。「ですよね……」と思いましたね。だからこそ、私は長年、母に感謝することのできない自分を責め、負のスパイラルの中で苦しんでいた。「子どもは親を尊敬するもの」とか「家族は仲がよいもの」といった世間の価値観こそが、私を苦しめていたものの正体でした。

刊行から3年が経って文庫化されたとき、評価はずいぶん様変わりしました。家族に対する悩みを聞く機会も増えましたが、どれもそれぞれにヘビーで。問題のない家族なんていない。みんな、言わないだけなんですよ。サザエさんちだって、CM中に揉めているかもしれないんだから(笑)。

家族の形に正解はないのだと思えば、少なくとも「世間体」という重石からは解放されるのではないでしょうか。