土佐の山野で採集を行っていた、20歳ごろの牧野富太郎(提供:高知県立牧野植物園)

植物と心中を遂げる

しかし私はこれで立身しようの出世しようの名を揚げようの名誉を得ようのというような野心は今日でもそのとおりなんら抱いていなかった。ただ自然に草木が好きで、これが天稟(てんぴん)の性質であったもんですから、一心不乱にそれへそれへと進んでこの学ばかりはどんなことがあっても把握して棄てなかったものです。

しかし別に師匠というものがなかったから、私は日夕天然の教場で学んだのです。それゆえ絶えず山野に出でて実地に植物を採集し、かつ観察しましたが、これが今日私の知識の集積なんです。

私が植物の分類の分野に立ちて絶えず植物種類の研究に没頭してそれから離れないのは、こうした経緯から来たものです、ちょうど忽々(そうそう)歳月人を待たずで私は今年七十二歳ですが、かく植物が好きなもんですから毎年よく諸方へ旅行しまして実地の研究を積んで、あえて別に飽きることを知りません。すなわちこうすることが私の道楽なんです。

およそ六十年間くらいなんのわき目もふらずにやっております結果、その永い間に植物につきいろいろな「ファクト」をのみ込んではいますが決して決して成功したなどという大それた考えはしたことがありません。

いつも書生気分でまだ足らない足らないとわが知識の未熟で不充分なのを痛切に感じています。それゆえわれは学者で候のと大きな顔をするのが大きらいで、私のこの気分は私に接するお方はだれでもそうお感じになるでしょう。

少しくらい知識を持ったとてこれを宇宙の奥深いにくらぶればとても問題にならぬ程の小ささであるから、それはなんら鼻にかけて誇るには足りないはずのものなんです。ただ死ぬまで戦々兢々として一つでもよけいに知識の収得につとむればそれでよいわけです。

私は右(原文ママ)のようなことで一生を終わるでしょう、つまり植物と心中を遂げるわけだ。