難聴になり、50代から補聴器を

宇崎 僕らは昨年11月、夫婦揃ってコロナになっちゃって。大変だったよね。

阿木 微熱が出た程度だったけど、後遺症と言うか、だるさが残ったわね。

宇崎 そう、気力と好奇心がなくなっちゃった。熱もそんなに高くないんだし、普通は10日間もお休みがもらえたらこれ幸いと、Netflixを観たり、音楽を聴いたり、本を読んだりするじゃない? ところがひたすらだるくて、何をする気にもなれなかった。体調が全然戻らなくてね。あれには参ったなあ。

阿木 お互い、回復して良かったわね。体調と言えば、あなたはずいぶん前から難聴を患っていて。

宇崎 30代前半まで、爆音のエレキバンドをやっていたせいだね。音がでかいのがロックだと思っていた時代で、メンバー全員フルボリュームだった。それに負けないように、更に大きな音でモニタースピーカーから歌を出していたんだから、そりゃあ耳もおかしくなるよ。

阿木 ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのライブの時、私はいつも客席で手で耳を塞いでいたもの。(笑)

宇崎 僕が補聴器をつけるようになったのは、50代になってからだよね。生番組で司会者から何か質問された時に、とんちんかんなことを答えたらまずいからね。今は外したらほとんど聞こえない。コロナ禍でマスク生活になってから、余計に相手の声が聞き取りづらくなって困ってる。

補聴器をつけるようになったのは50代になってから(撮影◎米田育広)