戦争が私を歌人にした

1928年、東京生まれ。母親は病弱で、長く入院生活を余儀なくされていたため、母方の祖母に育てられた。ほとんど一緒に暮らすことなく母はあき子が6歳の時に他界する。

――祖母や叔母たちは私を可愛がって育ててくれたのに、私は小学3年の時に荷物をまとめ、「新しいお母さんのところで暮らします」と言って祖母の家を出て同居しました。継母とは17、18歳しか年が違わないから気が合って。三味線や踊りを教えてくれて楽しかった。

算数は苦手でしたが国語はよくできた。作文も得意で、12歳で初めて短歌を詠みました。

もちろんその頃は歌人になろうとは思ってもいませんよ。今から考えると、戦争が私を歌人にしたと言えるのかな。だって戦争中は長い文章を書くゆとりがないの。物資が不足して、ノートだって限られている。夏休みの宿題も、「短歌を20首または日記、作文」となっていきました。歌を詠みだしたのは、それからね。

私立の高等女学校に進んでからは、友達と読書会を開いて、本をよく読みました。モーパッサン、ヘルマン・ヘッセとか、フランスとドイツの本。敵国のものを読ませなかったのは失敗ですよね。どういう相手かを教えなかったのと同じですもの。

そしてロシア文学は読んでよかったものです。長塚節や岡本かの子の小説、『源氏物語』や『枕草子』などの古典。大好きな長唄にも愛着を持っていました。

勉強も満足にできないまま、学徒動員によって工場に通っていましたが、終戦の年に空襲で、高田馬場にあった家は焼けました。