夫の岩田正さんと馬場さん(写真提供:映画『幾春かけて老いゆかん 歌人馬場あき子の日々』より)

これは馬場が17歳の時に詠んだ歌だ。

焼け果てて残るものなき家のあとに炭をひろふと我はたちたり


――戦後は現在の昭和女子大学を出て、20歳で高等女学校の教師に。初任給は2200円です。それが戦後的な物価の変動によって、次の年には3000円になりました。世の中は日一日と変わっていく。民主主義とは何か、っていう時代でしょ。わからないことが多かったので私自身も勉強しました。

生徒からは人気があったの。だって私の話は面白いから(笑)。生徒たちとは人間的な付き合いをしようと話し合って、良い関係が築けたと思う。

やがて「公立のほうが給料が高くて、お昼には牛乳とジャムパンが食べられる」と友人が教えてくれ、公立中学の教員になったのです。

その頃は、学校が終わると電車に飛び乗って栄養学校で料理を学び、それが終わると今度はお能の稽古に行って舞を習っていました。毎日、朝早くから夜遅くまで、忙しかったけど充実していたわね。マルクスだ、レーニンだ、民主主義だとあちこちで勉強会にも顔を出したものよ。

そのくせどっかで「お嫁さんにならなきゃいけない」と思っていて、文化服装学院の夜学に入って洋裁も習った。ロクにご飯も食べてないのに体力だけはあったのね。やりたいことのために目がギラギラしていたと思う。