「不思議なことに、寒い季節は歌も出てこないの。ところが3月4月になって木々が芽吹きだすと、降りてくるかのように歌が出てくるのです」(撮影:大河内禎)
歌壇の第一人者として、70年以上にわたり短歌を詠み続けてきた馬場あき子さん。95歳の今も現役だ。その馬場さんの1年間を追ったドキュメンタリー映画が5月に公開される。いったいどんな生活を送っているのか、今の社会に思うことは──。馬場さんの自宅を訪ねた(構成=樋田敦子 撮影=大河内禎)

「傷つけない」風潮は短歌の世界にも

そこここに緑が広がる閑静な住宅街の一角。一軒の家に表札がかかっている。「歌林の会 馬場あき子 岩田正」。「歌林の会」は馬場が夫の岩田とともに1977年に設立。歌誌『かりん』を創刊して今年で45年を迎える。

岩田は2017年に93歳で死去したが、95歳になる歌人の馬場は今もここにひとりで暮らす。南側のリビングルームのテーブルが彼女の定位置で、一日の大半をここで過ごしている。

――草花よりも木の花が好きなんです。ここに座って、毎日庭の木と会話しています。詠むのも木の歌が多くなりました。

庭の木は、力強くて本当に素晴らしい。狭いところに押し合いながら30本くらい立っています。椎や栗の匂いが好きなんです。青い木の匂いって、生の根源が噴き出したような匂いだから……。でもここ数年は、南天の実が10月に熟したり、いつも椿の花にやってくるヒヨドリが来なかったりして、日本の風土が変わりつつあることを感じます。

外に出かける用事がない時は、朝ご飯を食べて、新聞を読んで。一息ついていると、近所に住む歌友から「今日の買い物はありますか」と電話がかかってきます。5人ほどの方が毎日代わる代わるやってきて、事務的なこと、家事、電話などの世話をしてくれるのです。