学生時代から歌を作り続け、47年に短歌結社「まひる野」に入会。窪田章一郎に師事した。そして短歌を通じて知り合った岩田と結婚する。

今やわれ妻といふ名に落着くと青き夕べのキャベツをほどく

――やりたいことがいっぱいあり、面白いことが山ほどあるから、初めから子どもを作る気はありませんでした。孫ができると思って待っている向こうの親には悪いことしたと思ったけれど、子どもは産まないと決めちゃったのよ。やりたいことに向かってまっしぐら、というのが私の生き方だから。

27歳の時、第1歌集『早笛(はやふえ)』を出版しました。この歌集には生徒を詠んだ歌が多いのです。教え子たち、みんなかわいいのよね、特に男の子が。こっちも男言葉になって「おお、そうか」なんて受け答えして。私は生徒たちを熱愛していたし、毎日楽しかったわね。

今日何に思ひはせてか少年ら平和について語れと言ふも

でも『早笛』について、周囲からは「あなたの歌は抒情的だ」と批判されました。世は60年安保闘争が激化していて、教育の分野で「修身」の復活が論じられ、学生運動が盛んな頃。私自身も積極的にデモに参加していました。

また、私は歌の技巧なんて考えずに心のままに詠んだため、技巧的工夫が足りないと批判されました。すると90歳近い窪田空穂(くぼたうつぼ)が「短歌の生命は抒情であり、韻律の微妙を知ることは歌にとって大切」と援護に回ってくれて。ありがたかったですよ。今思うと、空穂自身がそうだったからだと思いますが、これはうれしかった。

<後編につづく


『幾春かけて老いゆかん 歌人馬場あき子の日々』公式サイト

監督:田代裕/出演:馬場あき子/語り:國村隼