それからの私は、親に無視されつつも、毎週末ディスコへ通い続けた。そして、ボディコンが似合うよう体形を整え、かっこつけてメンソールのたばこを吹かした。

そのうち、ディスコで知り合いが増え、一緒に踊るようにもなった。仲間から褒められたり、認められたりすると嬉しいし、自信もつく。気づけば、お立ち台の上にあがって歓声を浴びるディスコクイーンになっていた。

バブルが弾けた頃、25歳になった私は結婚。親からは「婿養子を取れ」と言われ続けたが、親のいいなりにはなるものか。自分の意思で結婚相手を決め、家を出た。

結婚とともに、ディスコは卒業し、ボディコンの大半は処分したけれど、初めてディスコに行った時に着ていたものと、一番お気に入りのものは、今でも大切にとってある。

私を変えてくれたボディコン。私の一番輝いていた時代を知っているボディコン。この先一度も着ることはないだろうけれど、捨てることはない。だって、私の人生の一部なのだから。

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