環境省が発表した、令和2年度のファッションと環境に関する調査業務によると、衣類の新規供給量は計81.9万トンに対し、廃棄される量は計51.0万トンになるという。整理しようとタンスを見てみると、眠っていた懐かしい品に出会うことも少なくないのでは。思い出が詰まったものは、どんなに古くなっても色あせても愛おしくて、やすやすとは手放せないもの。大原香奈さん(仮名・千葉県・主婦・56歳)は、既に着られなくても、青春の思い出が詰まったボディコンを捨てられないとのことで――。
虐められたし、友だちも少なかった
私はバブル全盛期、ディスコクイーンとして、六本木のディスコで毎週末、踊っていた。「ワンレンソバージュ」「ボディコン」「メンソールのたばこ」という三種の神器を駆使し、自分をアピール。あの頃のイイ女の条件は、この3つだった。
バブルが崩壊し、立派なオバサンになった今も、ボディコンだけはどうにも捨てられない。当然あの頃よりふくよかになり、トップスは首すら入らないし、スカートは片足を入れるのがやっとの状態だ。それでも手放せない。なぜならボディコンは、私の一番楽しかった時代の象徴だから。
週末ディスコに通っていたと言うと、「派手で明るい人」と勘違いされるが、実際はその逆で、私は内向的なうえに暗い人間だった。
一人娘だった私に対する、両親(特に母親)の干渉はすさまじく、常に監視下に置かれていた。友だちさえ、親が認めた人に限られて……。そんなふうだから虐められたし、友だちも少なかった。
「わが家は変」と気づいたのは、中学、高校の頃だ。それでも、親が怖くて反抗できずにいた。都内の短大に進学した後も、親の干渉は変わらず、門限は21時。外出さえままならない。