クリスマスには人がねたましかった

初舞台は24歳のとき、コメディアンとして出演しました。場所は今の有楽町マリオンのところにあった有名な日劇ミュージック・ホール。歌も踊りもたいして上手ではなかったけれど、私は身長が181センチもあって、ひょろひょろしているでしょう。

その瓢々とした感じがおもしろいと、泉和助(いずみわすけ)さんという演出家兼俳優が私を起用してくれましてね、『船中殺人事件』の怪しいマジシャン役として登場させてくれたんです。

怪しいマジシャンですから、いかに怪しく登場するか、毎回毎回工夫を凝らしました。タンゴのラ・クンパルシータのメロディに乗って出たり、燕尾服を着て、新聞紙を広げて出て行ったりね。ところが、入れ替わりに退場していく探偵役の泉さんが、退場際に私のその日の出来を耳打ちして去っていくんですよ。どんな登場をしても、もらえるのは「7点」「8点」、よくて十数点。

で、ある日、とうとうアイディアがなくなって、何もせずに出ていったんです。そうしたら「70点」と耳打ちされた。理由を聞いたら、泉さんはケラケラ笑って、「あんたは普通に出てくるのが一番怪しいでしょう」って(笑)。「でも、よく毎回、工夫しましたね。おもしろかったなあ」とおっしやった。工夫することの重要性を教えてくださった泉先生に出会えたのはとてもいい経験でした。

初舞台は好評でした。新聞にも「初舞台を踏んだ高見嘉明がいい味を出している」と書かれたくらい。ところが、泉先生がよその劇場に招かれちやったんですね。いい演出家がいなければ、私なんてただの木偶の坊。次の舞台は契約してくれましたが、その後がなかった。

25歳で結婚したカミさんが働いていたので、食べてはいけたけれど、暗い毎日でした。とくに嫌だったのがクリスマス。楽しげなジングルべルのメロディの中を歩いている人たちが幸せそうに見えるんです。それがねたましくてね。なんともはや、哀れな人になってった。