両親が望んだ薬剤師という職業
成長とともに肌の表面積が広くなり、醜さの度合いは増す一方だった。私の後ろの席になった子は、これでもかと机を離した。でも親にも、担任の先生にもなにも言えなかった。家庭訪問のとき、先生が「毎日学校で楽しくやっているようです」と母に言うのを聞いて、「ああ、うまくごまかせてよかった」と安心した。
そんな私が薬剤師になって地元に帰り、自宅を改築して薬局を始めた。見た目が特殊だったこともあって、薬局を開いたときは話題になった。わざわざ見に来るかつての同級生もいた。さほど優秀でもなかったことを知っている彼らにとって、私がなぜ薬剤師になれたのか不思議だったようだ。
別に薬剤師になりたかったわけではないが、これは両親が望んだ職業だった。直射日光を遮る調剤室のなかで仕事ができるし、この先結婚できないであろう私が1人で生きていくのに、必要な稼ぎが得られる、と考えたのだろう。
短大に合格したとき、入学金を支払いながらも父は「うちは貧乏だから短大に行かせるお金はない。でも、1年の浪人生活のためなら何とかお金の準備ができる」とよくわからない理屈を並べて、浪人して薬学部のある大学を受験するように言い出した。
あれは父なりの優しさだったのだと思う。翌年、結果的に薬学部には落ちたが、滑り止めで受験して合格した大学で臨床検査技師の資格がとれるというので、そこに入ることにした。
大学に入ると、ほとんどの学生が遊ぶ金ほしさにアルバイトをしていたが、私はひたすら勉強に打ち込んだ。結果、前期試験で10番以内の成績をとることができた。大学の研究も面白くなり、私はますます勉強に励んだ。
これまでのように嫌々取り組んでいたのではなく、とても楽しく充実した日々だったことを思い出す。そして教授の勧めで薬学部の編入試験を受け、無事に合格して薬剤師の道へと進むことができた。
父はこのころ、心筋梗塞で急逝した。だから私が薬剤師になったことは知らない。地元の人たちは、あんな子に大枚をはたいて浪人させて、大学まで行かせて、あの両親はなにをしているのやら、と思っていたに違いない。だから両親の名誉のためにも、私は頑張りたかった。