(イラスト:佐々木愛)

長く生きた分やりたいことが増えた

薬局には、いまの私の姿を一目見ようと、いろいろな人が薬を買いに来た。ただの同級生なのに親友と名乗る人、私を教えてもいないのに「教えた」とわざわざ言う教師もいた。

驚いたのは私をいじめた子まで来たことだ。胸のなかで「あなたは忘れたかもしれないけれど、私はあなたにいじめられたのを一度も忘れたことはないから」と彼ら彼女らに向かって叫ぶ。

しかし同時にこうも思う。私も自覚のないまま誰かを傷つけてきたことがあるのかもしれない。生きるとは、きっとそういうことなのだ。

こんな私でも40歳を過ぎたころに結婚し、いまは幸せに暮らしている。結婚なんて一番不可能なことと思っていたが、結婚生活は20年を超えた。

大学に入ってからの友達関係には苦労しなかったものの、せっかくの誘いに応じられないことばかりだった。人並みのおしゃれを諦めて季節を問わず長袖姿、熱が出るので暑いところへも行けないし、海水浴もできない。本当の事情を打ち明けられないまま合宿などの参加を諦め、「親類に不幸があって……」とたびたび親戚を亡くした。

夫はいま、私をいろいろなところへ連れて行ってくれる。温泉旅行では必ず家族風呂のある宿を取り、そばにいて恥ずかしいような顔もせず、これまで私が諦めてきたことを一つずつ実現してくれる夫には感謝しかない。

「死のう、死のう」と毎日思っていたころから、いつの間にか幸せを感じる64歳になっていた。人生の下り坂に入って長いが、こんなに楽に生きられる日々が待ち受けているとは思わなかった。

その間に、世の中では自分よりずっと若い人がどんどん自死を遂げたが、つらかったあのとき、自死を決行していなくてよかったと心底思う。これからは死に向かって自ら飛び込むのではなく、死が向こうから迎えにきてくれるまで待つことにした。

高齢ではあるが、元気なうちは働きたいし、やれること、やりたいことがたくさん増えてしまったからである。


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