現在は特別支援学級に入るケースも多いようで、私も支援学級に入っていればもう少し肩の力が抜けた学校生活を送ることができたかもしれない、と当時を振り返る。

小学校低学年の子どもは、悪びれず自覚のない毒をストレートに吐くものだから、支援学級にいたらそういった攻撃から逃れられたのではないかと思うのだ。

いまは、いじめから逃げるために学校を休んでもいい、という風潮になったが、当時の私に学校を休む選択肢はなかった。というより、そんなことを考えもしなかった。

健常者の母は、無意識に娘を健常者扱いするところがあるので、振り返ると私は夏になると半袖を着て過ごしていた。ノースリーブのワンピース姿の写真も残っている。

罵声という鋭い矢が胸に命中するたび、その痛みに耐えた。強い攻撃をはね返すほど勉強や運動ができたらよかったが、視力検査表で一番大きい字しか見えない私は、「まだひらがなが読めないんだ」とよくからかわれた。小学校低学年のころから眼鏡をかけていたこともあって、見た目も含めて、きっと私は彼らの格好のおもちゃだったのだろう。

私が触ったものはみんなが気持ち悪がるので、定期的に給食当番がまわってきてもなにもやらせてもらえなかった。ただ棒のように突っ立っていると、これはこれでとても目立ってしまうので、皆と目が合わないように下を向き、配膳が終了するのを待っていた。