「あたしは今、ペチュニア(ナス科)をかき撫でている」

季節のせいもあると思う。なにしろ春になってからこっち、園芸屋さんにも色とりどりの花が出回って、でもまだまだ暑すぎない、蚊も出ない。その上なんとなく生活に余裕がある。これは大学で教えるのをやめたせいだ。それで大量の詩を読まなくてよくなり、東京に行かなくてもよくなった。これが定年後の生活というやつか。

みなさんご存じと思いますが、あたしは人生相談を長くやっている。この頃なんだかやけに多いなと思う相談がある。

60代〜80代の人たちの「どう生きたらいいのか」という相談だ。無為だ、寂しい、やることがない、希望がない、「どうやって日々生きていくのか」から「早く死にたい」「自殺以外で早く死にたい」までいろんなバリエーションがある。そして実はあたしもその気持ちがわからないではない。

もう10年以上前になるけど、父が独居していた。今のあたしの身の上は、父のあの状態に近い。父が言ってたのだ。「退屈だ、退屈だ。今死んだら死因は退屈だ」とか。「死んじゃえばいいと思うんだけどね」とか。「飛行機が落ちてきたら死ねるけど落ちてこない」とか。

死にたいという相談を寄せる人たちも多分そんな気持ちなんだろう。でも生きる。生きていくしかない。

いつか死ぬ。それまで生きる。

あたしは35の時にひどい鬱になって死にかけた。あのときはほんとに辛かった。自分なんかいない方がいい、自分をこの世から抹殺しようと考えるのは、鬱だからであって、鬱じゃない生きてる体は、そんなことを考えない。生きてる体は、死ぬまで生きるようにプログラムされてるんだなと、鬱から立ち直ったときにしみじみ思ったし、父や母や夫や犬や、身のまわりの生き物が、死ぬときまで生きようとするのを見て会得したあたしの結論です。