「パチンコ玉とか卵とか、本気で狙ってくるから怖かった」(篠塚)

──後楽園のバックヤードでは、長嶋茂雄さん、王貞治さんが大きな鏡の前で素振りしている写真をうちでもよく使います。雰囲気ありますよね。

定岡 不思議な場所だったな。ベンチから階段で上がっていくんですよ。広くないし、奥にトレーナールームがあるんで、ほぼ通路です。怖い顔してブンブン振ってる人がいるから、危なかったですけどね。

篠塚 あの鏡、まだドームにあるらしいですよ。

定岡 あれは歴史だよね。でもさ、今はドームになって、試合の雨天中止がないし、暑くも寒くもないから選手もお客さんも快適だよね。素晴らしいと思うよ。ただ、こう言うと時代に逆行するのかもしれないけど、僕は野球は外でやったほうがいいと思う。風を感じながら、ナイターなら星や月を見ながらね。

篠塚 僕もそうですし、そう思っているお客さんは多いと思いますよ。

定岡 ドームはどうしても似た感じになるけど、屋外の球場には、それぞれ独特の雰囲気がある。甲子園には、身が引き締まるような感覚が選手をやめた今もあるし、神宮は空気がいい気がするよね。近くに緑があるからな。

──応援の仕方も変わりましたね。

定岡 今は途切れることなくずっと応援が続いていて、それはそれで素晴らしいと思います。ただ、当時は選手と一緒に喜怒哀楽を出すというのかな。静かなときや、ため息をつかれることもあったけど、昔のほうがお客さんとともに試合をつくっていた感覚が強かったですね。

川口 後楽園は応援も拍手が中心でしたよね。

篠塚 太鼓と笛はあったけどね。

川口 そうでした! ベンチの上でオジさんが音頭を取ってやってましたね。でも、ほかの球場に比べたらすごく静かだった。「ああ、東京の人って紳士なんだな」って思ってました。

定岡 後楽園はそんなにひどいヤジはなかったよね。阪神ファンが騒いでいるときはあったけど、あまり気にならなかった。

篠塚 やっぱり広島、ナゴヤ、甲子園ですね。よくヤジられたし、ヤジだけじゃなく、物も飛んできました。

川口 広島は味方でもヤジられますから(笑)。

篠塚 あそこでベンチ前のキャッチボールの相手したくなくてね。若手だからどうしても組んでやらされるんだけど、すぐ客席から「邪魔だ、座ってろ!」と怒鳴られる(笑)。

定岡 ナゴヤもブルペンがグラウンドの横で、いつも酔っぱらいが試合も見ないでネットにへばりついて絡んできた。甲子園もラッキーゾーンにブルペンがあったときはひどかったな。弁当とか、ビール缶がどんどん飛んでくるんだ。

篠塚 試合前に外野でランニングをしていても、パチンコ玉とか卵とか、本気で狙ってくるから怖かったですよね。

※本稿は、『昭和ドロップ!』(ベースボール・マガジン社)の一部を再編集したものです。


昭和ドロップ!』(著:定岡正二・篠塚和典・川口和久・槙原寛己/ベースボール・マガジン社)

定岡正二、篠塚和典、川口和久、槙原寛己。
昭和に生まれ、昭和に育った4人の元アイドル選手が令和の今、荒々しくも華やかだった昭和のプロ野球を愛あり笑いありで語り尽くす!