長嶋茂雄監督の魅力とは
──3人は定岡さんが1975年、長嶋監督1年目のドラフト1位、篠塚さんが翌1976年のドラフト1位。川口さんは1994年オフ、FA で長嶋監督2期目の巨人入りと、長嶋さんにラブコールされての巨人入りが共通点と思っています。
川口 俺は小学5年からエースピッチャーだったけど、チームの監督に「背番号3を着けさせてください」とお願いしたら「ピッチャーはダメ」と言われた記憶がある。長嶋さんの番号で、みんなのあこがれだからね。サダさん、俺らのガキのころはみんなそうですよね……。あれ、返事がないな……。サダさん、長嶋さんって背番号3でいいんですよね!(やや声でかめに)。
定岡 でかい声で確かめるなよ、そんなこと! 返事をしなかったのは何を話すか考えていただけ。でもさ、現役時代の長嶋さんは現実味がなかったんだ。小、中学校と野球部がなかったし、テレビもそんなに見なかった。すごい人というのは分かっていたけど、実在の人物というより、伝説の物語の登場人物みたいな気がしていた。
篠塚 僕もそう。小さいころプロ野球はそんなに見てなかったですからね。ただ、周りの大人が長嶋さん、長嶋さんと騒いでいたのは記憶にあります。出身が同じ千葉ですしね。
川口 2人とも家にテレビがなかったんですか!
定岡 バカヤロー! 当時は野球を見るより、やるほうが楽しかったんだ。
川口 子どものころからの長嶋信者じゃなかったんですね。俺にとっては、ずっと長嶋さんと王貞治さんは神様みたいなもんなんだけどな。サダさん、長嶋さんが現実になったのはいつですか。
定岡 リアル長嶋さんを見たときかな。世の中にこんな人がいるんだってびっくりした。伝説の人が初めて目の前に姿を現したんだからね。
川口 いつですか。
定岡 東京に入団発表で行ったとき(1974年オフ)。光り輝いていたよ。
川口 分かります! 長嶋さんってスポットライトがずっと当たっている感じですよね。
定岡 こっちが東京に初めて来たこともあったかな。飛行機も乗ったことなかったんで、舞い上がっていたのは確か。会見前日に東京に入ったんだけど、球団の人が外車で迎えに来てくれたのが、すごく思い出にあるんだ。
篠塚 外車に見えただけじゃないんですか。
定岡 バカヤ……、いや、そうかもね。車種も覚えてないしな。首都高を通っているときも、東京って高いところに道路があるんだなと思ったからね。ただ、車で、よみうりランドにあった合宿所に向かったんだけど、どんどん田舎になっていくんだ。「これも東京なの?」って感じだった。