歯科医の助言に耳を貸さず

その夫が昨年、愛車の軽自動車を駆って、北海道と東北を巡る一人旅を強行。「今行かなければ、この先もう二度と行けなくなる気がする」と言い張ったのだが、夫はこの時、かかりつけの歯科医から歯槽膿漏の治療を急ぐよう勧められていた。

1週間かけて北海道を巡り、帰ってきてから歯科医に行ったときには歯槽膿漏が悪化し、大学病院で9本も歯を抜く羽目に。傷が落ち着くのを待って入れ歯を作ったが、「情けないなあ……。こんなものをつけるなんて」と、いっこうに装着しようとしなかった。

北海道から帰って約1ヵ月後、今度は、岩手・青森・秋田を巡る旅に出発。

1週間後の夕方、「今秋田。旅にも飽きた。帰る」とおかしなメールが届いた約3時間後、夜遅くに夫の軽自動車のエンジン音が車庫に響いた。

ところが、玄関に迎えに出たところ、なかなか夫が車から降りてこない。娘たちも心配して出てきた。

すると、ゆっくりと車のドアを開けて出てきた夫の姿は、まるで別人のようにやつれ果てていて、見る影もなかった。背中が丸くなり膝も曲がって、足取りがおぼつかない。

ようやく娘たちの肩にすがって玄関に入った夫のことを、2人は、「まるで、玉手箱を開けた浦島太郎じゃん。太郎は人間だけど、これじゃまるで幽霊だし……って、歯がないから余計に恐ろしい形相で幽霊にも失礼だよね」。

夫はイライラしながら、さんざん道に迷って遠回りしてきたこと、携帯電話を失くして旅館の人に迷惑をかけたことなどを話したが、そのあとはすぐにベッドに倒れ込んで、12時間以上眠り続けた。寝ている間じゅう、うわごとを言ったり、「危ない! ぶつかる!」などと叫んだりしている様子から、相当怖い目に遭ってきたことは想像に難くない。

見る影もないほど痩せたのは、歯が抜けた状態で満足に食事がとれず、長距離運転で神経をすり減らしたせいだと察しがついた。