武田氏に対して相対的な自立を確保していた穴山氏

甲斐国は地理的に、東部の郡内(現在の都留市など)と中・西部の国中とに二分されていました。これは山梨県となった今でも変わりません。また国中でも南部を河内(現在の南部町、身延町など)として郡内・国中・河内に三分することがありました。

穴山梅雪(甲越勇將傳武田家廾四將:穴山伊豆守信良(歌川国芳作)/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

室町時代には、郡内に小山田氏、河内には穴山氏が勢力をもっていました。戦国時代になると両者は一応、武田氏に臣従するわけですが、依然として相対的な自立を確保していたといいます。

実際、長篠の戦いで信玄以来の重臣が戦場に斃れる中、小山田信茂と穴山梅雪は退却に成功し、生存しています。戦いぶりに差があったのでしょうね。