男女のくすしき因縁

その後、永禄3年(1560年)に死去。彼女のお墓は静岡市葵区の玉桂山華陽院(浄土宗)にあります。なお、この寺の境内には、3歳で歿した家康の五女・市姫の墓もあります。

お富の方の生家は明瞭ではないようですが、大河内家という説が有力です。同家からは江戸幕府初期の財務官僚、大河内正綱が出ていますが、正綱は長沢松平家の養子となったことで松平の名乗りを許されました。

これが大河内松平家で、正綱の後継者(甥で、養子)が知恵伊豆こと、松平信綱(三代将軍家光、四代将軍家綱の名補佐役)です。

正綱は家康の覚えがめでたく、愛妾であるお梶の方を妻として賜りました。

ところが肝心のお梶の方はこの措置に不満で、若い正綱と別れ、家康の元に帰る道を選びます。そして家康にとっての最後の子になる市姫を生むのです。

お富の方が大河内家の人であるならば、成人できずに亡くなった市姫の墓を建て、供養したのは正綱ではないでしょうか。ここにも男女の奇しき因縁を見ることができるのかもしれません。


「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)

幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。