松本潤さん演じる徳川家康がいかに戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのかを古沢良太さんの脚本で巧みに描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第22回では、徳川・織田連合軍は長篠城の西・設楽原で武田軍と対峙。だが信長(岡田准一さん)は馬防柵を作るばかりで動こうとしない。しびれを切らした家康は、わずかな手勢で武田の背後から夜襲をかけ――といった話が展開しました。
一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。第41回は「家康と信康の親子関係」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし!
いよいよ巨大なフラグが
前話にて武田勝頼に勝利すると、織田信長の家臣となった徳川家。
武田軍を討ち滅ぼすべく家康とともに前線で戦い続けるなか、息子・信康(細田佳央太さん)は心のバランスを失ってしまったようでした。
そして「虫も殺せない」はずだった息子の変わり果てた様子を見て、築山殿(有村架純さん)が…。
いよいよ巨大なフラグが立ってしまった感じですよね。
さて、ここまでの父・家康と息子・信康のやりとりを見てみると、非常に良好な関係を築いてきたように感じられます。家康は「もうわしを超えたかもしれん」とまで信康を評価していました。
つまり、家康と信康の間に深刻な対立がある、家康は信康の破滅を望んですらいる、といったふうにはまったく描かれていないということです。
あらためて整理してみて、ぼくはあれ? と首をひねりました。
というのは、大岡(大賀)弥四郎の時にも触れましたが、時代考証に柴裕之先生が加わっているからです。