垣間見える大人な姿勢

実は、浜松の家康と岡崎の信康は鋭く対立していて、徳川家臣団も浜松派と岡崎派に分裂していた、というのが柴先生の説。でも、このドラマは「時代考証の先生の解釈」を採ってない、ということになる。

このドラマのストーリーがどう決まっているのか。プロデューサー、ディレクター、脚本家のみなさんがどう話し合い、そこに時代考証の方たちがどのように意見を出すのか。

ぼくには内情は分かりません。でも、信康にこれから起きる悲劇については、柴説は間違いなく一番「新しい」し、言ってみれば「尖って」いる。それを敢えて採用しないところに、ぼくは柴先生の「大人な姿勢」を見ています。

自分の学説は大事にするけれども、それを無闇に他者に押しつけることはしない。

もしそんな判断をとられていたのであれば、これはとても素晴らしいことだと思います。研究者として、時代考証役として、尊敬できる仕事だなあ、と感心します(ちなみにぼくと柴先生に交遊はありませんので、けっして仲間ぼめではありません)。

繰り返しになりますが、ドラマの筋がどう決まっているかが分からない以上、実際のところは全くの見当違いかもしれないのですが。