政略結婚は幸せを約束してはくれるものではない

豊臣秀吉が没したときに、信康の長女である登久姫は23歳、次女の熊姫は22歳。

後述するように2人は既に結婚していましたが、いざとなれば強引に徳川家に戻すことは可能でした(秀吉は妹の旭姫を無理に夫と別れさせ、44歳の彼女を家康に嫁がせています)。

そうして2人を豊臣恩顧の大名のもとに再嫁させる。時は関ヶ原の戦い前夜。徳川派閥を形成し安定させるため、ひいては徳川の世を創出するために、これほど効果的な手段はありません。

でも肝心の女性視点に立てば、政略結婚が必ずしも幸せを約束してくれるわけではありません。

たとえば戦国一の美女として名高いお市の方。ドラマでは北川景子さんが演じている彼女は幸せだったでしょうか?

もちろん、才覚に優れていたと伝わる彼女には、織田信長の妹としての覚悟があったでしょう。結婚した浅井長政、再嫁した柴田勝家との間に深い愛情が生まれたかもしれません。そこは否定できない。

でも、初めの夫である長政は兄の信長によって討たれました。第二の夫である勝家も秀吉との戦いに敗れ、自害しました。

このとき3人の娘(茶々さん、初さん、江さん)は秀吉の陣営に送り出したものの、彼女は勝家と運命を共にしています。長生きすれば良いというものではないにせよ、端から見ると、せめて二番目の夫とは、共白髪まで添い遂げられればよかったのになあ、と思わずにいられません。