戒名の一文字に込めた家族の想い

「心臓病とともに元気に生きる」をテーマにした秋田大学医療フォーラムに参加したのが、最後のお仕事になりました。彼らしいなぁと思います。自分の体験を、同じ病気で不安な思いをしている人のために役立てたいと、いつも話していましたので。

秋田の会場まで行ったものの熱があるということで、コロナの抗原検査の結果は陰性でしたが、念のため別室からリモート出演することになりました。帰京し、翌朝病院へ行ったところ、そのまま入院することに。その日の夕方に容体が急変した時も、きっとまた不死鳥のように蘇ってくれると、一縷の望みをかけていたのですけれど……。

家で過ごした最後の日に限って寝室を共にしなかったことが心残りでなりません。日中は別々に過ごしているのに、夜まで離れていたら夫婦でいる意味がわからなくなってしまうと、私は同じ部屋で寝ることにこだわっていたのです。とはいえ、新婚時代にはくっつけていたベッドを途中から離してはいましたが。(笑)

あの日は、コロナ禍でもあるし、大事をとって別の部屋で寝ようと提案されて。あれが彼からもらった最後の優しさでした。

なんて皮肉なのだろうという私の複雑な想いとは裏腹に、記憶の中の渡辺はいつも笑っています。戒名は「陽光院賢徳徹真居士」。菩提寺の住職さんがご家族で一文字だけ選べますと言ってくださり、息子たちと相談した結果、「陽」という字を選びました。『太陽にほえろ!』でデビューしたのだし、なにより太陽みたいに家族を照らしてくれたのだからと。

葬儀の前、生前、渡辺がお世話になった方々がわが家に集ってくださったのですが、さすがにみなさん、彼の大好物をご存じで。祭壇にはマヨネーズが特大サイズからチューブタイプのものまでズラリと並びました(笑)。大好きな人たちに囲まれ、笑顔に満ちた彼の人生は素晴らしいものだったと確信できて、心が温かくなりました。

実はまだお骨は家にあります。離れるのが寂しくて……もう少し一緒にいたいのです。「お線香なんて似合わないわねぇ」と語りかけながら、つくづく素直な人だったなぁと思います。遺影を見つめていると、「ありがとう」「嬉しいよ」という弾んだ声が聞こえてくるようです。

「好きだよ」も言ってくれたし、「愛してる」も言ってくれたのに、私はいつも「はいはいはい」とか言って照れながら逃げて、悪いことをしてしまいました。でも今なら私も素直に言えるのです。「めぐり合えてよかった。ありがとう」と。