結婚生活が長くなると、何でもわかっているような気になるし、何でもさらけ出しているような気もするけれど、それは錯覚だったのかもしれない。いつしか彼が「確かにお前の言うとおりだな」と口にするようになっていたのですが、本心からそう思っていたのかどうか、今となっては藪の中です。
彼は責任感のある頼もしい人でした。仕事がどんなに忙しくても、子どもの学校でPTAの役員を務めたり、お笑いライブ「徹★座」を主宰したり。目の前にいる人が本当は何を思っているのかを感じとることに長けていて、人をまとめるのが上手だったのです。
豪放磊落なようでいて繊細でしたね。それに芯が強くてブレなかった。一緒に過ごした日々を俯瞰して眺めれば、子どもの前ですべてさらけ出すのも、私の意見に合わせるのも、彼の強さのなせる業だったのではないかと思えてきます。
もっとも、こうしたことは彼がいなくなったから思うことで、元気でいたら、日々の忙しさに追われ続けていたことでしょう。誰だって死を迎えるのだから、いつかさよならする日が来るとわかっていたのに、そんなことは考えもしなかった。
特に渡辺は大きな病気を繰り返していたので、「もしかしたら……」という不安がなかったわけではありません。悪い予感を追い払いたくて、「まだまだ夫婦としての歩みは続く」とポジティブに捉えていた節もあるのです。
でももっとお互いの様子を観察して気遣えていたらと、今さらながらに思ってしまう。このやりきれない気持ちを乗り越えるには、少々時間がかかりそうです。