――お爺様の背中を見て、いつの間にか自分の中に何かが芽生えた感覚なのでしょうか?

渋谷 この仕事に限らずでしょうけども、技術職って見て学ぶことが殆どですよね。よく冗談で、祖父から教えてもらったのは、電気ろくろのスイッチの入れ方ぐらいっていつも言うんですよ(笑)。あと朝も晩も、ずっと仕事してたんですよね。努力とか、頑張る背中を見ていたから、僕も仕事を昼も夜もしますよね。そうしないと上手になれないし。

小さいときから萩焼というものに囲まれて、クラッシックに対する良さや憧れもあるんですけど、自分が「さあ、やるか」ってなった時に、今じゃないなと。だったらもっと自分の好きな感覚的に合うものを創作したい、というのが30歳のスタートの頃でしたね。

誤解があるといけないのですが、萩焼と全然違うことをしているっていう感覚ではないんです。やりたいことがあってその後から萩焼っていう概念が乗ってくると言いますか。
萩焼は自分に染みついてるものなので、何してもやっぱり出てきますよね。そのくらいが丁度いいな、と思っています。技法も見た目は萩焼っぽくないんですけど、技術や素材は一緒で表現方法が違ったり、解釈の仕方が違うという感じでしょうか。

萩焼の伝統を守りながら新しい色彩を吹き込んだ花瓶(撮影:延秀隆)