――進化した萩焼を創作しているように感じます。その点は意識していますか?
渋谷 実は意識していないんです。過去の萩焼に対する見識が深い方々ほど「斬新で今っぽいね」と言ってくださるのですが、本当に自然に出てくるだけで。僕は今の人間ですよね。だから今っぽいのが当たり前ですし、今の人間が古いもの作るという感覚よりは、こちらの方が普通なんじゃないかな?と捉えています。
古くて良いものも沢山あって、焼物でいうと「写し」という技術がそう。それも勿論大事だと思うのですが、僕はしないだけなんです。でもリアリズムという意味で「写し」は技術の向上に必要なことだと思っています。
――お爺様はどういった経緯で萩焼の窯元になったのでしょうか?
渋谷 経緯はぼんやりとですが、聞いたことがあります。初めは焼物の為の土を売る仕事をしていたようで、そこから陶芸の道に進んだと聞いたことがあります。でも「先祖代々」とは違い、祖父は8人兄弟の末っ子で、実家の仕事とは全然関係ないことを選んだみたいなんです。ただ、祖父は国の仕事で満州鉄道に少しだけ従事していたとは聞いたことがありますね。祖父が何歳から窯を開いたと正確には聞いてないのですが、様々な話から考えると40年以上は経っていると思います。短くはないですが、この業界は十何代目とかがいらっしゃるので。(笑)