マンゴーかき氷の由来
実際、「台湾かき氷」も台湾と日本のハイブリッド文化である。もともと中華的な食文化において、小豆や緑豆などいろんな豆を少し甘めに煮たスープが好まれていた。
一方、氷を削って食べるかき氷について日本では平安時代から記録があり、明治期には庶民の食べ物として定着した。これが日本時代に台湾へと持ちこまれ、両者が合体して「台湾かき氷」ができ上がった。
更にそこに、マンゴーなどのフルーツやプリン載せ、雪花冰(シュェホァビン)(杏仁フレーバーのふわふわかき氷)として進化したのが現在の台湾かき氷と教えてくれたのは、台湾で美食作家として知られるハリー・チェンさん。ハリーさんの著作『台湾レトロ氷菓店 あの頃の甘味と人びとをめぐる旅』は日本で翻訳出版(中村加代子訳/グラフィック社)もされている。
「台湾料理」という言葉自体、日本時代に酒楼で中華料理風の宴会料理を賞味していた日本人によって付けられたという話もある。
国際基督教大学アジア文化研究所研究員の大岡響子氏はこう書いている。
「中央研究院の曾品滄氏によると、『台湾料理』という言葉は、日本が台湾を領有した翌年1896年に、日本人が日本料理と現地の料理を区別して呼称するために使い出した。つまり、台湾料理は、外部からやってきた日本人によって、『台湾料理』と名付けられたことにより勝手に線引きされ、突然一つのジャンルとして登場したのである。」
「『台湾料理とは何か』を説明することの難しさは、台湾が経験してきた歴史の屈折と複雑な折り重なりからくるものだ。」
それは確かに「台湾とは、台湾人とはなにか」を説明する難しさに似ている。
「本場の味」が消えていく水餃子……
とあるグルメな友人(台湾人)は、近年の台湾アイデンティティーの高まりによって水餃子の味がどんどん落ちている、と嘆いていた。いわく、戦後の移民で来た人々も2世3世となって台湾化が進んだ結果、戦後に持ち込まれた「本場の味」に影響を与えているという(とはいっても、この友人バリバリの緑派―台湾本土派を指向する政治パーティ支持者なのだが)。
たしかに、人気の餃子店にいってもキムチ味とかカレー味とか、元々の水餃子からかけ離れた得体の知れないものが増えた。また中山堂前の上海隆記菜館など昔ながらの味を伝えてきた老舗レストランも減る一方だ。