中国各地の特色が取り入れられて

1945年、終戦により台湾を植民地としていた日本人(約30万人)は引き揚げていった。それと入れ替わるようにして台湾へとやってきたのが、中国共産党との国共内戦に敗れた蔣介石ひきいる中国国民党の政府関係者や軍人とその家族など、百数十万人の人々である。

『日台万華鏡』(著:栖来ひかり/書肆侃侃房)

これら戦後に移民してきた人々の出身地は中国各地に渡り、その特色を備えた料理文化が台湾で花開いた。

例えば刀削麵や水餃子・肉まん・餅(ビン)といった小麦粉をつかった料理は中国北方の山東出身者から、唐辛子や花椒を効かせたスパイシーな料理は四川や湖南など内陸部から、チャーシューやローストダックなどは広東からといった具合だ。

鼎泰豊の創始者も戦後に中国から台湾にやって来た。油売りの商売をしていたが上手く行かず、同じく移民として上海(浙江)から来た料理屋のオーナーから、油の隣で小籠包を作って売ったらどうかと勧められ始めたのが大当たりした。

牛肉麺(ニョーロウメン)(写真提供:栖来ひかり)

以前、タクシーで台北の中心にある大型公園「大安森林公園」の横を走っていると、運転手さんが「俺はここで育ったんだ」と教えてくれた。

今でこそ緑豊かな公園だが、かつてはバラックが立ち並ぶ「眷村(ジェンツェン)」と呼ばれる中国からの移民村があった。運転手さんは、当時は他の家の子供たちと毎日みんなで食卓を囲み、今日は上海出身ママの上海料理、翌日は四川料理と毎日色んな場所の料理を食べて楽しかったよ、と思い出を話してくれた。

のちに各地の料理の特質が合わさった眷村式の家庭料理は「眷村菜」と呼ばれ、現在はひとつの料理ジャンルとなった。

では「台湾料理」といえば、どんなものを指すのだろうか。よく言われるのは例えばビーフン(麵線)など、日本時代の前に台湾に移住した中国福建系の人々によって持ち込まれた「福建料理」をベースにして、台湾の気候や材料に合わせて発展し、更に原住民や客家、日本など多様な文化が影響を与えたというものだ。