「ひきこもりはどんな家庭でも一定の条件が揃えば起こりうる〈現象〉です」(斎藤さん)

斎藤 そうなのです。ひきこもる最初の一瞬は個人の意思かもしれません。しかしその後は意思とは関係なく、親の思惑やプレッシャーなどさまざまな要素が相まって悪循環を作り、本人が抜けたくても抜けられないという構図ができてしまいます。

小島 親はたいてい「育て方が悪かった」と自分を責めます。しかし単に個人的な子育ての失敗なら、その数が100万人にも及ぶはずがない。原因は社会にもあります。同調圧力が厳しくなったことや、核家族化により子育てが密室化して、互いの逃げ場がなくなったこと。こうした社会背景の影響も見逃せません。

斎藤 ひきこもりはどんな家庭でも一定の条件が揃えば起こりうる「現象」です。それなのになぜ個人が叩かれるのかというと、みんな自己責任だと思っているから。自ら勝手にひきこもり、親の作ったご飯を食べ、毎日が日曜日だと。「俺もできるものならひきこもりたいよ」という羨望の声を耳にすることもあります。

小島 おそらく、「自分たちは毎日苦しくてもがんばって働いているのに、お前は楽をしてずるい」という感覚でしょうね。生活保護バッシングにも共通するような。

斎藤 そうですね。羨望というより、「ずるい」という感じ。世間だけでなく親の認識にも歪みがあって、私がひきこもりの親の会に行くたびに「楽園」という言葉を聞くのです。「うちの子は楽園にいる」と。でもそれは違う。動きのない一種の無風状態ではあるけれど、全然楽園ではありません。楽しそうにひきこもっている人なんて見たことがない。孤立して、不安や焦燥、孤独感の中で、明るい展望も自己肯定感も持てず、本人はすごく苦しい状態です。

 

脅しの言葉で追い詰めないで

小島 それにしても、ひきこもっている方が100万人もいるというのに、たとえば不登校の延長で働けない人たちの「社会での生き方のモデル」が一切見えてこないのは問題ですね。

斎藤 おっしゃる通りです。

小島 本当は世の中には生きる道がいろいろあり、キャリアの形もひとつではありません。もちろんこんな不安定な世の中で、親御さんも自分は老齢になるし、年金は下がるし、なんとかしなくてはと思う不安や焦りはわかります。しかしもう少し多様性をもって寛容に接してもらえれば、と思うことも多いのですが。

斎藤 人間にはまず安全な居場所が必要で、それが外へ踏み出す土台になります。しかし残念ながら、放っておいたら甘えて働かない状態に安住してしまう、と考える人は多い。だから「働かざる者食うべからず」と、脅しの言葉で本人を追い詰めてしまうのです。