身が引き締まる思い
新大関・霧島は、初日に取組が組まれたものの右肋骨骨挫傷で休場したが、急速な回復力と本人の強い希望で4日目から出場した。中日までに2勝4敗(不戦敗を含む)2休と苦しい成績。8勝をあげなければ、今場所休場の大関・貴景勝と共に来場所カド番になる。
中日の霧島の対戦相手は1勝6敗の前頭3枚目・翠富士。1分58秒(ほかに廻し待ったの中断約2分40秒)の長い相撲で翠富士が下手投げで勝った。取組中に珍しい事が起きた。立行司の式守伊之助が、霧島の廻しが緩んだので「廻し待った」をした。私は、行司が軍配の紐をたぐり、自分の背中に軍配を回し、両手で力士の廻しの結び目を締める姿は格好が良いと思っていた。しかし、伊之助はなかなかうまく締められず、軍配も土俵に落として必死の形相。呼出が土俵に上がって手伝うはめになった。その間に霧島と翠富士の組んだ形が崩れてしまい、伊之助は正面審判部長の佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)にもとの形を聞いていた。
令和4年の名古屋場所中日、横綱・照ノ富士と若元春(当時前頭4枚目)の対戦で伊之助はタイミングの悪い時に「廻し待った」をして、照ノ富士が力を抜いてしまい、審判陣の協議の末、廻し待った時点の組み方での再開となった。この時は佐渡ヶ嶽審判部長が土俵に上がって指示を出した。
今場所3日目、照ノ富士と前頭筆頭・翔猿の対戦では、翔猿の廻しがガタガタに崩れているのに、「廻し待った」がなかった。どこまでほどけたら廻し待ったなのか?と思い、私は日本相撲協会の公式サイトで廻しの締め方を見て、日本人の知恵が廻しの締め方に詰まっていることを学べたことは良かった。
中日のNHKテレビで「師の教え」として常盤山親方(元小結・隆三杉)が登場し、師匠の二子山親方(元横綱の初代・若乃花)の言葉「力を抜くな!!」を紹介していた。さすが現役の時に「土俵の鬼」と言われ、2横綱2大関を育てた二子山親方だ。「苦しいからやめる、苦しいからやめる、では力がつかない」と、厳しい稽古を継続することの大切さを語る二子山親方の姿が映し出され、私のようなババアでも身が引き締まる思いがした。
そして、その二子山親方の弟である大関・貴ノ花(初代)が昭和50年春場所(大阪府立体育会館)で初優勝したときの感動と、テレビに映る観客が投げる座布団のすさまじさが目に浮かんだ。さらに、NHKの有名アナウンサー2名が、座布団の被害にあっていたことを思い出した。