命がけで相撲の資料箱を開けた

まず14日目、憎らしいほど強いと言われた横綱・北の湖が大関・魁傑に負けた時、観客たちが座布団を飛ばし、桟敷席の中でラジオ放送をしていた北出清五郎アナウンサーが、かけていた眼鏡を座布団でぶっ飛ばされてしまった。

千秋楽は、北の湖が12勝2敗、悲願の初優勝をかけた大関・貴ノ花は13勝1敗で対戦。北の湖が上手投げで勝ち、貴ノ花と2敗で並び優勝決定戦となった。貴ノ花は細い体ながら、連日、脅威のねばり腰を見せて必死の相撲を取り、しかもイケメンで「角界のプリンス」と呼ばれた超人気力士だった。観客の声援は本割も凄かったが、優勝決定戦は声援と爆発しそうな熱気がテレビから伝わって来た。

優勝決定戦の結果は寄り切りで貴ノ花が勝った。その時の座布団の降り注ぎ方が、相撲史上に残るほど凄かった。千秋楽のラジオ放送の杉山邦博アナウンサーは、桟敷の中の放送席でしゃべり続けなくてはならなかった。座布団でマイクを飛ばされないように必死だったそうだ。

この時のテレビ視聴率は大相撲放送始まって以来の50.8%で、私は貴ノ花の大ファンだったので、テレビの前で喜びの踊りをしまくり、母は直立で万歳を繰り返していた。

今回、私の記憶が正しいか調べるため、命がけで相撲の資料箱を開けた。『Number15』(昭和55年11月20日号、〈株〉文藝春秋発行)で北出アナウンサーは作家の石井代蔵氏と対談し、眼鏡が飛ばされたことを話していた。『Number261』(平成3年2月20日号、同社)で杉山アナウンサーの話も発見した。さらに、『男だぜ貴ノ花』(昭和50年6月5日、〈株〉報知新聞社発行)の写真から、優勝の勝ち名乗りを受ける貴ノ花の周りに落ちている座布団の柄が様々であったことを再発見した。

なぜ、相撲の資料箱を命がけで開けたかというと、エアコンなしの41度の部屋にこの資料箱があるからだ。しかも相撲雑誌で貴ノ花様のお姿を拝見したとたんに、危険な暑さを忘れたことも危険だった。汗が貴ノ花様のお写真に落ちて、あわてて部屋から脱出し、水道の水を飲んだ。その時、なぜか十両8枚目・天空海(あくあ)が大量に塩をまく姿が脳内に浮かび、塩も少しなめておいた。

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