不要な「カテゴライズ」は世界を狭める

三浦さんは生粋のBL好きを公言しており、「ハーレクインも大好き」と語る。そんな著者が描く男性同士のバディものは、双方の掛け合いが絶妙で、小気味良いテンポで進む。だが同時に、互いの生育環境の違いが、2人の関係に影を落とす場面もある。

これは、私の創作における好みの話になるんですけど。異なる環境で、異なる世界を見て育ってきた人同士が、コミュニケーションを通してお互いへの理解を少しずつ深めていき、打ち解けられたかと思いきや、また隔てられて思い悩む……みたいなのが、私にとっての萌えポイントなんです。ちょっと、言葉が急に軽くなっちゃいましたね。(笑)

住む世界が違う者同士の“萌え”って、昔からありますよね。「王様と私」とか、「ロミオとジュリエット」とか。お互い惹かれ合って興味を持っているのに、容易に近づくことが許されない。そういうのって、人間にとって永遠の萌えポイントだと思うんですよ。

キャラ的には、私はどちらかといえば破天荒キャラが好き。なので、チカと遠田なら遠田の方が好みです。『まほろ駅前多田便利軒』だったら、多田より行天ですね。でも、今作の『墨のゆらめき』の視点人物はチカだし、『まほろ』の視点人物は多田です。突飛な人を視点人物にすると、話がとっ散らかって進まないので、真面目な人物に語ってもらうようにしています。なので、好みとは反対に、感情移入しやすいのはチカや多田のほうなんです。

一見すると自由奔放に見える遠田だが、時折陰りを帯びた表情を見せることがある。そして、ある日突然、遠田はチカに背を向ける。困惑し、思い悩んだ末、チカは一つの答えにたどり着く。
“気になるなら、会いにいけばいい。勝手に下ろされたシャッターなど、ぶち破ればよかったのだ。”
ある種の秘密を抱えて生きる人は、存外多い。生い立ちを含めたバックグラウンドは人それぞれで、みんなそれぞれ「異なる荷物」を背負っている。だが、「異なる部分」があったとしても、人と人は手をつなげる。

生育環境や性格の違いによって、お互いへの偏見が生まれたり、自分の世界から排除してしまうことは、誰にでも起こり得ることだと思っています。けど、そんなことしていてもどうしようもないじゃないですか。そんなんじゃ、なんにも希望がなくなっちゃう。だからせめて創作物の中では、「断絶するかと思いきや、そこをどう超えていくか」みたいなのが書けたらいいなと思いました。

私自身は、オタク気質であるがゆえに、今でいうところの“リア充”、いわゆる“パリピ”に対する偏見が、以前はすごくあったんです。見下されたり、排除されている感覚がどうしても拭えなくて。でも、大人になって多様な人たちと出会ううちに、その認識が変わっていきました。

それまでは、会ったこともない人たちを十把一絡げにカテゴライズして、「こういう人たちに違いない」と決めつけてしまう気持ちがどこかにあったけど、本当に浅はかだったなと今は反省しています。それって結局は、自分の世界を狭めてしまうことだから。