「努力することさえ難しい状況」の人もいる

本書の後半、反社会的勢力に関わる人物が登場する。人に迷惑をかけたり、法を犯すことは、たしかに間違っている。ただ、どうしてそのような環境に身を置くことになったのか、その背景に目を凝らすと、存在を糾弾するだけでは解決しない問題の“根源”が見えてくる。
“その場所に行き着いた原因と責任のすべてが、その人たちのみにあると言えるだろうか?”
チカのこの言葉の意味を、三浦さんは次のように語る。

何らかの罪を犯した人が「更生したい」と願っても、制度がそれの邪魔をしていることがよくあるんです。例えば、過去に反社会勢力に属していて、罪を犯したとしますよね。でも、出所して堅気に戻ろうと思っても、出所後5年ぐらいは部屋も借りられず、新しい銀行口座も作れないんですよ。銀行口座が作れないってことは、当然仕事も決められない。仕事には、必ず「給料の振込先」となる口座名義が必要になりますから。これでどうやって「更生」すればいいのか。

「臭いものには蓋」のように、ぎゅうぎゅう締め付ければ悪いことをする人たちはいなくなるだろう、はみ出そうとする人はいなくなるだろう、というのが、この制度の発想の根源にあると思うんです。でも、規律を厳しくすれば、みんながそれに従って社会が健全で清潔なものになるわけじゃない。

私を含めて、自分が知っている環境は、限られたごく一部のものです。それなのに、そのことに気付かず、恵まれた環境しか知らないまま、「なんで他の人はこれができないんだろう」と本気で思っている人がいる。どうもそういう人たちが考えた方針や政策だなと感じることが、けっこうあって。そのたびに、本気で腹が立ちます。

どんな環境であったとしても、「まったく努力しなくていい」とは、もちろん言えません。けど、「努力することすらできない状況にある人」もいるんです。それなのに、そういう人がいることを前提とした構造になっていない。それがそもそもおかしいし、ますます分断が進んでしまう要因になっているのではと思います。