(撮影◎本社・奥西義和)
2000年に長編小説『格闘する者に〇』で小説家としてデビュー。以降、『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、『舟を編む』で本屋大賞、『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞を受賞。世に出した多くの作品が映像化されている三浦しをんさんが、Audible作品として書き下ろした『墨のゆらめき』は、Amazon Audibleで朗読の配信がスタートすると、文芸、人文などオールジャンルでランキング1位を獲得した。本作が、2023年5月31日、紙の書籍としても発売。「風変わりな書家」と「実直なホテルマン」のバディが織りなす、小気味よくも切ない物語。三浦さんが本書に込めたメッセージとは――。
(構成◎碧月はる 撮影◎本社・奥西義和)

「耳で聞く読書」を前提として文体を決めた

オーディオファースト作品(オーディオブックとして配信したのち、書籍として出版される作品)として発表された、三浦しをんさんの新著『墨のゆらめき』。Amazon Audibleと新潮社の共同企画で、Audibleナレーターは人気声優の櫻井孝宏さんが務める。
「耳で聞く読書」を前提として物語を綴るのは、三浦さんにとって初の体験だった。細やかな部分にまで工夫を重ね、聞く人の心地よさを追求した作品は、穏やかなナレーターの声と共に心の深部に届く。

Amazon Audibleの声優さんが、実力があってファンが大勢いらっしゃる方だったので、おかげさまで多くの方に作品を聞いていただけて、とても嬉しく思っています。

Audible作品は、「先に音になること」が前提にあります。なので、書く際にはそのことを意識して文体を決めました。日本語は同音異義語が多く、耳で聞いた場合、とっさにどちらの意味かわからない言葉がたくさんあります。それと、字面を見ればある程度の意味を読み取れる言葉も、耳で聞くだけではわかりにくい言葉がありますよね。たとえば、「義姉」って文字で見れば意味はわかるけど、「ぎし」と口語ではあんまり言わないじゃないですか。そういう言葉は、言い回しを変えました。「義理の姉」とか、「兄の奥さん」みたいに。ただし、紙版の書籍のときは、文体のリズムを保つために「義姉」に修正してあります。

ほかにも、一人称のほうが語り手の声としてダイレクトに聞こえてくるので、一人称に統一して、会話を多めにするなどの工夫もしました。
Audible作品に挑戦したのは、今回がはじめての経験です。「どうしたら音だけで物語の世界に入りやすいかな」というのは、これまであまり意識してこなかった部分なので、色々な発見がありました。

映画やドラマなどの映像化の場合、どうしても小説そのままとはいきません。でも、Audibleは原文を朗読するコンテンツなので、「小説」という表現とすごく親和性が高いと感じます。だからこそ工夫のしがいがあるし、新たな発想が生まれました。

耳で聞くからこそ、「目で認識するのが基本である“文字”を題材にしたら面白いのでは」と思い、「書家」を生業とする主人公の遠田が生まれました。Amazonさんからのオファーで「男性の主人公にしてほしい」との要望があったので、男性同士のバディものにしようかな、と。それで、書家と出会うのは誰だろうと考えたとき、「筆耕士」という職業を思いついたんです。ホテルや結婚式場から送られてくる招待状の宛名は、美しい肉筆で書かれていることが多いでしょう。だから、宛名書きを依頼するホテルマンなら、書家との出会いがありそうだなと思い、もうひとりの主人公である力(通称:チカ)の存在が浮かびました。