優等生だった弟と内気だった兄

実は私自身、ひきこもりがちな4つ下の弟がいました。両親が亡くなった後は、アパートでひとり暮らしをしていたんです。しかし7年前、自宅で亡くなっているところを発見されました。

本人が「自分のことは記事に書かないで」と言っていたので、ずっと心の中に封印してきたのです。しかし歳月が流れ、彼が生きた軌跡をどこかに残したほうがいいのかなという気持ちになってきました。それに、この話が教訓として誰かの役に立つことがあるのではないか、と。

とはいえ、もともと弟のことがあったからひきこもりの取材を始めたわけではありません。このテーマに取り組み始めたのは、25年以上前のこと。当時、教育現場で精神を病む教師や学級崩壊などの取材をしていたのですが、そのなかで「話ができない子ども」に出会いました。

実を言うと私は小学校時代、特定の場面で話すことができなくなる「場面症」で、学校で誰とも口をきけない6年間を送っています。その子の姿が過去の自分と重なり、どうしてこういうことが起きるのかを調べていくうちに、「ひきこもり」という言葉をインターネットで見つけたのです。その頃、弟はすでに不登校を経て、働いたり辞めたりをくり返していました。

わが家は、都市部に暮らす高度経済成長期の典型的な4人家族です。父は大手企業の管理職、母は専業主婦。仕事人間の父は、家のことは母に任せきりでした。母は社交的で、PTA会長や町内会長を務める地元の有名人。教育や躾に厳しく、「教員か公務員になってほしい」と言われたことも何度かありました。

「あなたのためだから」「将来が安定するから」と言いながらも、母の期待する価値観を押しつけられてきたように思います。

弟は小さい頃から成績優秀。スポーツ万能で友だちも多かった。親の期待はもっぱら弟にかけられている気がして、内気で劣等生だった私には、弟がうらやましく眩しい存在でした。

しかし中学に進学した頃から弟の成績は急落し、その後、高校を中退することに。時々働くこともありましたが、親戚などが家に来ると部屋にこもりがちになりました。ただ、弟は英語が得意で海外に長期間出かけていましたし、その頃は弟が「ひきこもり」だと認識することも疑うこともありませんでした。

親が悩んでいたのは、弟がちゃんとした職に就けないということです。いつまでも親に依存して、自立できない。そんな弟の心配をしていました。親戚から弟の生活のルーズさについて兄の私が注意されることがあり、弟もその親戚を嫌がっていましたから、ますます避けるようになっていったようです。