両親が亡くなり、生きる希望を失った

やがて母にがんが見つかります。その頃に私の発案で、4人で家族旅行に行きました。本当はこの時、将来について家族で話し合えば良かったのですが、楽しそうにしている時に切り出せる話ではありません。母は臆病で、自分の死について考えるのを嫌がる人。その後も万一の時の話題を持ち出すタイミングがなく、先送りが続きました。

しばらくして母が亡くなり、その1年後、追うように父も脳腫瘍で亡くなります。母の時も父の時も、弟は足しげく病院に通っていました。自分ひとり家に取り残される寂しさや不安があったんでしょうね。

父が亡くなった時が、弟を公的な支援につなげる最後のチャンスだったのかもしれません。しかし当時は、40代のきょうだいの負担を強いられている人が相談できる制度はなく、弟の意思もあり、誰にも言えませんでした。

そもそも、父の企業年金などまとまったお金が遺され、持ち家もあった。弟が働かなくても生活していけるだろうからと、支援を求めるほどの深刻さもなかったように思います。

ところが、弟は両親が亡くなり、一気に生きる希望を失ったようでした。いつ実家を訪れても、真っ暗闇の中で布団を敷いて寝転がっている。そして、「誰か怪しい人いなかった?」「ひそひそ声が聞こえるから雨戸を閉めている」と言うのです。

さらに話を聞くと、両親の遺産はすでに底をつき、クレジットカードや消費者金融などからお金を借りていることも判明。いったん、私が代わりに返済しました。

外からの視線に怯え、抜け殻のようになっていた弟は、ある日、自ら病院に出向いて入院。驚いて面会に行くと、「返済」のことばかり気にしていました。それくらい真面目なんです。

「統合失調症」と診断されると、「違う」とかたくなに受け入れず、診断名は「不安障害」に変わりました。それでも治療して元気になるにつれ、「家に帰りたい」と訴え始めます。実家に戻すと家を担保に再び借金を重ねる危険があったため、グループホームへの入居を提案しましたが、「集団生活は絶対に嫌だ」と断固拒否。

実家がダメならひとり暮らしをしたいと言うので、生活保護のケースワーカーをつけようと相談したら、「生活保護なんて絶対に嫌だ」とまた拒否。それで入院が長引きました。

結局、1年後に退院。家を売ってアパートでひとり暮らしを始めたのですが、様子を見に行くと常に雨戸を閉め切り、暗闇の中でパソコンの画面だけがぼんやり光っている。薬を飲んでいなかったのか、あるいは薬の副作用なのか、話をしていると妄想が膨らんでいく感じでした。

弟と会ったのは、お正月におせち料理を持って訪れた時が最後。部屋が暗いので照明を天井に設置していると、「明るくして何するの?」「誰か連れてきてるでしょう?」と言われて追い出され、それからしばらく連絡しなかったのです。

その数ヵ月後、「家賃を滞納している」と連帯保証人の私のもとに連絡があり、弟は亡くなっていたことがわかりました。すでに腐敗も進んでいて、ショックで言葉も出ませんでした。