自分の人生を守ることが第一
弟を亡くした今、親が生きている間に家族で何ができただろうか、と考えることがあります。
親が元気なうちに信頼できる第三者とつながって、弟がひきこもりながらでも生きていけるように準備しておくことができたかもしれない。親には、残される家族に負担がかからないよう、加入していた保険や年金、財産、葬儀の手続きなど、亡くなる前に情報を共有してもらうべきでした。将来、弟が生活していくための選択肢を、一つではなくいくつか考えておくことが重要だったのです。
そもそも「働く」ことは義務ではなく権利なんだ、という考えを家族みんなで共有できていたなら、また違った展開になっていたのではないか。弟が働けず、親が悩んでいた頃は、そこまで思いが及びませんでした。今なら言えます。一日一日を生きてくれるだけでいい、と。
冒頭でお伝えしたように、ひきこもる状態はいつでも誰にでも起こりえます。ただ傾向としては、優しくて「人に迷惑をかけたくない」と抱え込むタイプが多いようです。潜在的には、「もう一度社会に出たい」「やり直したい」と思っていますが、これまでの経験から、いろいろな事情や理由があって働くことができなくなっているのです。
それなのに、周りが一足飛びに「就労による自立」をゴールに定めてしまうと、必ずどこかで本人が無理をすることになります。期待に応えようとして、ますます心も体も壊してしまうケースを多く見てきました。特に状況が深刻な人ほど「ひきこもり」というレッテルを貼られるのを嫌がり、支援を遠ざけ、孤立しやすい。そして生きる意欲や希望が枯渇してしまいます。