思い切って異国の地へ

日本語教師養成講座で2年間学んで資格を取った後、モンゴルの大学の教授から仕事の誘いがあった。かつて彼が日本留学していた時、モンゴル語を教わっていたことがあり、私が日本語教師を目指していることを伝えていたので声がかかったのだ。モンゴルなら、こびりついた教師の垢が落ち、しがらみからも解放され、新しい自分に出会えるような気がして即座に決断した。

そして半年後、ウランバートル空港に降り立つと、モンゴルの空はどこまでも蒼く澄み渡り、私を歓迎してくれるようだった。不安と期待を抱えて赴任先の国立大学を訪ねたところ、「明日から来てください」とのこと。そしてそれ以外の説明は何もない。教室は?学生は?教科書は?モンゴルの大草原にポンと放り出されたようだ。

音楽教師時代、8回の転勤を経験しているが、日本ではまず職員会議で自己紹介をしたら、仕事の分担表に基づき詳しい説明を受ける。歓迎会が開かれ、新任に対する濃やかな配慮があった。それがモンゴルには一切ない。

1日目にして考え方の違いの洗礼を受けたが、モンゴル人が不親切ということではなかった。モンゴル語が話せない私のために、日本留学から帰ったばかりのテンゲルという優秀な女子学生を助手としてつけてくれたのだ。

日本語学科の1年生の授業は、「あいうえお」を学ぶことから始まった。私が黒板に書く文字を、学生たちは食い入るように見つめる。こんな眼差しに囲まれて授業をしたのはいつ以来だろう。私は異国の地であることを忘れて熱中した。言葉が通じなくても、身振り手振りを使ったり、絵を描いたり、歌を歌ったり、まるで幼稚園の先生のようだった。

ある時、学生から質問された。「センセイ、マツタコ、シリマスカ?」

なんだか妙な取り合わせだと思いながら、私は黒板に松とタコの絵を描いた。

「これが松で、これがタコ」私の説明に学生は怪訝な顔。後でわかったことだが、モンゴル人は「か行」の発音が苦手。「マツタカコ(松たか子)」と言ったつもりが「マツタコ」になってしまったらしい。

こんなちぐはぐなやりとりが続いたが、学生たちは廊下で会えばにっこり笑って挨拶してくれるし、授業の資料や宿題のノートなどの荷物を進んで運んでくれた。モンゴル人は老人を大切にするので、高齢教師の私を尊敬してくれているのだ。手探りの毎日でも、学生の顔を見れば頑張ることができた。