イラスト:ネコポンギポンギ
厚生労働省が発表した令和2年雇用動向調査結果によると、「介護・看護」を理由に離職した人は2017年に約9万人、18、19年には10万人を突破していました。また、男女・年齢別にみると、女性の割合がどの年代でも高くなっており、特に55歳以降で増える傾向があります。人生の選択はさまざまですが、子育てや仕事に一区切りついた人生の後半、どう過ごすかによって、毎日の生活の満足度が変わってくるかもしれません。長年音楽教師をしていた森 好子さん(仮名・愛知県・無職・79歳)は、夫ががんで余命宣告を受けたことから、定年目前に中途退職を決めて――。

学級崩壊と寝耳に水のがん宣告

4歳上の夫ががんで余命40日と宣告された。私はためらうことなく、34年続けてきた教師の仕事を辞め、看病に専念することに。

今まで家庭より仕事を優先してきた。授業やテストの準備、成績処理など、山ほどある仕事をこなすのに精一杯で、夫を思いやることがなかった。寝耳に水のステージIVの宣告で我に返り、56歳で中途退職を決めたのは夫への贖罪の気持ちがあったからだ。

それに、当時勤めていた中学校は、学級崩壊の嵐が吹き荒れていた。生徒たちは音楽教師である私にも、「てめえ!」「死ね!」と、胸を突き刺す言葉を投げつけてくる。

ある日、自宅の郵便受けに切手のない手紙が放り込まれていた。「おまえは最低の教師だ」。そんな言葉から始まる手紙を最後まで読むことはできなかった。また、音楽教室が荒らされたことも。壁に貼られた音楽家の肖像画が破られ、床にはゴミがまき散らされていた。

折れそうな心を支えたのは、まじめに仕事をしてきたという誇りだった。しかし、何度辞めたいと思ったことか。夫の看病は、退職の大義になる。あと4年で定年だったが、未練はなかった。

6ヵ月の闘病期間を経て、夫は定年目前の60歳で旅立った。退職後は悠々自適に暮らすはずだったのに。人生何があるかわからない。やりたいことはやれる時にやっておかなくては……。耳元で誰かが囁く。

そんな折、たまたま書店で『日本語ジャーナル』という雑誌の表紙が目にとまった。「日本語教師になって世界に羽ばたこう」という文字が躍っている。気がつけば、その雑誌で紹介されていた日本語教師養成講座の門を叩いていた。入学金はなんと30万円。

急な成り行きに娘は驚いていたが、一番驚いたのは自分自身だ。二度と教師などするまいと固く誓ったはずなのに。