渡辺さん「ドラクエは、その製作段階から不思議なほど外部のクリエイターとの縁に恵まれていました」(写真:婦人公論jp編集部)

 

 

『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』シリーズは「国民的ゲーム」として、日本のカルチャーに大きな影響を与えています。かつてはスクウェア・エニックスにも在籍し、現在はゲームデザイナー兼プロデューサーとして活躍中の渡辺範明さんは『ドラクエ』と『FF』の功績をあらゆる角度から検証しています。渡辺さん「ドラクエは、その製作段階から不思議なほど外部のクリエイターとの縁に恵まれていました」と言っていて――。

『ポートピア連続殺人事件』の発売

エニックスが自社から販売できるゲームソフトを求めて開催したゲーム・ホビープログラムコンテストは、結果的に20本以上の新作ゲームをエニックスにもたらし、そのなかには『ドアドア』をはじめとするいくつかのヒット作にも恵まれましたが、むしろそのクリエイターたちとの出会いの方が、はるかに大きな鉱脈だったといえるでしょう。

ドラクエシリーズの初代プロデューサー千田幸信*1さんは、この出会いを活かし、堀井雄二と中村光一という次世代スター2人にタッグを組ませて新作ファミコンソフトを発売しました。それが、1983年の『ポートピア連続殺人事件』です。

この『ポートピア連続殺人事件』は、堀井さんがもともとパソコン用ソフトとして制作済みだったものを中村さんのプログラミングでファミコン用に移植したもので、完全新作ではありません。

しかし、このゲームの発売にも、「後にファミコンでRPGを出したい」という堀井さん、中村さん、千田さんの戦略がありました。

ゲーム・ホビープログラムコンテストの開催はアメリカでの『ウルティマ』『ウィザードリィ』発売の翌年であり、それぞれにパソコンフリークでもあった堀井さんと中村さんは、出会った時点ですでにこの新しいゲームジャンルに魅了されており「RPGの魅力を日本でも広めたい!」ということで意気投合したようです。

その2人をバックアップするかたちで、エニックス千田プロデューサーがプロジェクト化に踏み切りました。