「体重も30キロ台まで落ちて生死の境を彷徨った。医師にすがり、家族に助けを求めて弱い人間になっていった。でも…」(撮影:タカオカ邦彦)
多くのミステリー作品をはじめ、人気作家として数々の著作を残した森村誠一さんが、肺炎のため東京都内の病院にて逝去されました。享年90。晩年のヒット作『老いる意味』の刊行に際したインタビュー記事を再配信します。

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『人間の証明』など、ベストセラー作家として知られる森村誠一さん。今から6年前、森村さんは「老人性うつ病」と「認知症」の診断を受け、一時は言葉を思い出せなくなり苦しんだという。病とほどよくつきあい、有意義な余生を送るための心の持ちようを綴る。

体重も30キロ台まで落ちて生死の境を彷徨った

若い時は楽しい出来事はいつまでも覚えていて、嫌なことはすぐ忘れた。88歳で認知症にもなると、楽しいことも簡単に思い出せなくなった。そうすると横にいる妻がクイズの連想ゲームをしているように、一緒に思い出すことを手伝ってくれる。私がヒントとなる事柄や単語を立て続けに10個ぐらい言うと正解にたどり着く。正解に私も妻も大きな声を出して喜んでいるのは実におかしな話である。

ただ、数年前に老人性うつ病になった。これは厄介だった。毎日どんよりとした暗い日々が続き、記憶が失われ言葉を忘れていった。作家にとって言葉を忘れることは無を意味する。小説は言葉の繋がりだからだ。私の脳から言葉がこぼれ落ちるという感覚だった。頭の中に言葉が残らない。気づいてみると仕事場の床に私の頭からこぼれ落ちた言葉が散り積もっているような幻覚にも襲われた。

私は言葉を忘れないように、筆ペンで広告の裏や白い紙に必死に書き散らかした。トイレや仕事場の壁、寝室の天井までその紙を画鋲で貼って何度も復唱を続けた。

体重も30キロ台まで落ちて生死の境を彷徨った。医師にすがり、家族に助けを求めて弱い人間になっていった。でも、不思議なもので歳月がたち、医師や家族の協力でだんだんと言葉が戻ってきた。どんよりとした暗い日々が、太陽が眩しい明るい日常になったのである。弱い人間になっても、私は希望だけは捨てなかったからだ。